これに気づけば子供を褒めて伸ばす効果は絶対に上がる。
子供の一生懸命を笑わない。
たったそれだけの配慮を出来ない大人が多い。
僕もそのひとりだった。
先日3歳の子供が一生懸命歌っていた。
歌詞はデタラメで曲も飛び飛びだったけど
覚えたての歌を真剣に歌っていた。
僕はその様子が微笑ましくて笑った。
でも僕は笑ってすぐに
『あ、これ失礼だな』と思い
「笑ってごめんね」と謝った。
。。
子供の失敗や挑戦は微笑ましい。
つい笑ってしまうのも分かる。
しかし微笑ましい笑いと嘲笑の違いについて
子供が判断できるかというと疑問だ。
僕はこれまで子供の行動を笑うことで
その子の意欲を失わせていなかっただろうか。
そんなときにこんな記事を見つけた。
ネオ天草のジャンプ感想日記 : 子供が「微笑ましい」失敗をしても笑うな
===以下引用====
私は、本番で台詞を噛んだのだ。
本来であれば「お捧げします」と言うべき場面で、「おしゃしゃげしまう」と言ってしまった。
その瞬間、場内に笑いが起きた。
解っている。
観客である保護者達は、何も台詞を噛んだ子供を嘲笑しているわけではなく、そのいかにも「子供らしい」失敗に思わず失笑しただけだろう。
そこに悪意はなく、日常の心温まるエピソードとして大人たちの中では処理され、今では当然誰一人としてそのことを覚えている人間などいるはずもない。
だが、子供だった私は、笑われたことにいたく傷ついた。
===引用終わり===
この方はその後トラウマになったという。
笑われると恥ずかしい。
こんな単純なことを子供に配慮できない人は多い。
子供の真剣な様子を見て
「アハハ、上手だね」
なんていう中途半端な表現をしていると
成長の妨害になる恐れがあるのかもしれない。
褒めて伸ばすという育て方は誰もが知っている。
でもそれだけではなく
子供の一生懸命さを笑わないようにしたい。
。。
この微笑ましい笑いによって
大人も苦しめてられている具体例がある。
それは以下の記事にもあるように
【英語を笑う人】これに気づいてない日本人は永遠に英語を話せるようにはならない。 | 旅人美容師の1000人ヘアカット世界一周の旅
英語を話せない日本人の多さだ。
===以下引用===
自分がカタコトでも、外国人は真面目に聞いてくれる。
決して笑ったりしない。
笑うのは英語ができない日本人だけだ。
===引用終わり===
僕が沖縄で仕事をしていたとき
お客様には米兵の方もいたけれど
彼らは僕の下手くそな英語を一切笑わなかった。
それでも僕は
笑われるんじゃないかと毎回思っていたし
発音を間違って聞き返されるのが恥ずかしかった。
相手は笑わず聞いてくれていたのに。
日本人の微笑ましい笑いが及ぼす影響は
自分たちに染み付いてしまっている。
しかし少しの意識で変える事は可能だ。
親父はドラマのNG集が嫌いだと言って
実家では一度も見たことがなかった。
そういう配慮が自然にできるひとになりたい。