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猪が掘り尽くした竹林から絶品タケノコを探し出す方法。

まず青々とした若い竹を見つける。
その竹の周りの土を掻き出しながら
タケノコがある前提で傷つけぬよう丁寧に探す。
すると無闇やたらに探すより高確率で
美味しいタケノコを発見できるだろう。

とても労力が必要な作業ではあるが
猪に見つかっていないタケノコには
美味しい理由があるため苦にはならない。

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幻のタケノコと呼ばれる白子筍。
これは地中から穂先が出ない状態を収穫する。
日光や空気に触れるとえぐみが増すためだ。

白子筍は他にも十分な管理が必要で
竹の選定や土の状態維持をしなければならないが
そのような管理なしでも
地中から出る前のタケノコは大概美味いのである。

猪の春の主食はタケノコといわれており
田舎の山は毎年掘り尽くされている。

一度試しに電柵を張って対策したところ
毎年5本見つけられれば十分だったタケノコは
捨てるほど多く取れたことがあった。

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電柵は一度きりだったが
僕は春になるとそんな状態の山に出向いては
猪が掘り尽くした跡を必死に探していたため
自然に探し当てる方法を身につけていた。

それが若い竹の周辺を探すものであり
実際に竹は成長して5年以上過ぎると
竹の子を産まなくなるようだ。

タケノコを掘るツアーのようなものでも
良質なものを掘るための基準として
このような見つけ方をオススメしたい。

博多駅で安い飲み方はコレ!持ち込み出来るラーメン屋。

博多駅はオフィス街だけあって
とんでもないコスパの店が多い。

今回は博多駅といえば誰もがご存知の
駅構内にあるラーメン屋に酒を持ち込んでみた。
正確には帰宅後に呑もうとしたハイボールだが。

購入した食券を渡しながら思い立ち
コンビニで買ってきた酒を飲んでよいか聞くと
意外とあっさり承諾してくれた。

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おつまみ焼豚280円(食券)

こうして焼豚をつまみながら
店舗で買うより安い酒を呑みつつ
無限お代わりの辛子高菜と紅生姜をつつく
素晴らしいコスパ呑みが生まれたのである。

なんといっても電車まで徒歩10秒(9両編成)
缶を捨てるゴミ箱までも徒歩10秒という好立地。
ゴミ箱経由で乗っても15秒という一等地である。

立ち食いという特性から店舗は狭いが
提供が早くラーメンを注文するにしても
15分あれば超ゆっくり食べることが出来るのだ。

そもそもこの店の正式名は
『まるうまラーメン ぷらっと博多』というが
知ってる人は身近に一人もいない。

名が知られていない以上
ラーメンの味は評価圏外にはなってくるが
こういう場所のラーメンを
しかも350円という低価格のものを
あれこれ評価するのはナンセンスだ。

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素ラーメン350円(食券)

持ち込みをするなら店外の窓際席にしよう。

春の山菜カンゾウの酢味噌和え

甘草(カンゾウ)というのは
フキが開花しそうな頃に自生している山菜である。

アクが少ないため湯通しは短めで食感が良く
ネギやわけぎの代わりに
旬のホタルイカと酢味噌和えが良さそうだ。


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ふきのとうの周りに群生するカンゾウ

カンゾウは異物を受け取りやすい形のため
汚れをしっかり取る必要があり
洗う作業が非常に大切になってくる。

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洗いと水換えは5回以上行う

土や汚れを落としてしまえば簡単だ。
沸騰した湯にカンゾウを入れ
再沸騰するとザルにあげる。
水で熱を取って絞れば準備完了。

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おひたしや味噌汁でも美味しいようだが
わけぎのぬた風に酢味噌で頂いた。

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クセがなく淡白な味わい。
蕾もうまいらしい。

あなたが気を遣って発する店員の嫌いな言葉。

簡単に包装してください。
僕はこの言葉が嫌いだ。

簡単という言葉は無料の言い換えだろうが
本人は配慮して言ったつもりであっても
店員は気持ち良く受け取ることが出来ない。

ラッピングひとつにしても
お待たせしないよう道具を準備して
綺麗に出来るよう日々練習しているのだ。
決して簡単なものではない。

そもそも不明なのは
簡単と無料の関係性である。
簡単なものなら無料でしてもらえるのか。
なぜ簡単と無料が同等の意味で使われるのか。

ピカソの30秒という話が印象的だ。
ピカソが歩いていると
彼のファンだという女性が寄ってきて
用意した紙に絵を書いてもらう。
ピカソはその絵に100万ドルを要求する。
たった30秒で描いた絵なのに…という話。

それに対してピカソ
30年と30秒だと応えるのだが
この話からわかるように
人間は相手の力量を想像して
物事の難易度を相手軸で見ることがある。

また長年に渡り磨いた技術であっても
本人にとって難しくなければ
無料での提供が可能であることから
簡単だから無料でしてもらえるという
勘違いにも繋がっているのではないか。

つまり包装やラッピングは
練習をしている店員にとっては簡単で
付加価値を付ける無料の技術のため
無料と簡単が結びつきやすいのだ。

無料で何かをしてもらう際は
謙虚に伺いを立てたいものである。

https://www.instagram.com/p/BIcy1gMAP7D/
鯵の姿造りで残った骨
揚げると油がかなり劣化するため
これこそ簡単に頼まないでほしい。

居酒屋になった新生『吉野家』が安くてうまい!これだけは頼んでほしい1品。

吉野家の外観は変わっていないが
チョイ飲みメニューを豊富に揃えた
新生吉野家=吉呑みが安くてうまい。

そもそも僕が吉呑みを知ったのは
豚丼が復活したと聞いた2016年6月。
約10年ぶりに豚丼目当てで再訪すると
なんとメニューにホッピーを発見。

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ホッピーセット400円
ソト・ナカ各200円

福岡では非常に良心的な価格だ。

次に店舗限定であろうコチラを注文した。

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アニュハセヨ150円
韓国海苔・白ネギ・キムチ)

何度か通って知ったことだが
この商品はマニュアルが存在しないのか
作り手によって辛さが激変する。
初回は信じられないくらい辛かった。

この白地のメニュー表にも癖があり
実際に手にとって見ても
違いに気づく人は稀だと思うが
アニョハセヨが表記されているものと
表記されていないものがあるのだ。

一番驚くのは
この商品を知らない店員もいること。
マニュアル以前の問題だ。


豚丼の味に満足した僕は
あまり日を空けずに再訪し
吉呑みメニュー随一のコレを発見した。

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牛すい350円

優しい出汁に玉葱の甘みが沁み渡り
牛肉の油が出汁の旨みを引き立て
豆腐はアツアツでうまい。
吉野家の七味をかけると
香り・辛味・旨みのバランスがよく
より一層楽しめるのだ。

吉呑みメニューを発見したら
是非この牛すいを注文してほしい。

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サイドメニューの
温泉卵を投入するという神業。

※価格は全て税込表示

自分だけ注意される人に当てはまる3つの特徴

周りと同じ基準であっても
特定の人だけ注意されることがある。

そういう人に当てはまる特徴を3つ挙げる。
①無愛想
②機微を感じ取れない
③無関心

愛想が悪いというのは致命的だ。
喜怒哀楽を表現することは
コミュニケーションにおいて非常に大切である。

愛想とは単に笑顔というものではなく
叱られたら申し訳なさそうな表情をつくるなど
相手の機微を感じて適切な態度をとることだ。

機微とは
表面から捉えにくい微妙な趣や事情であり
機微を感じ取れない人は
相手の気持ちを推し量ろうとしないため
態度に表すことができず嫌われる。

また人間関係や役職の上下に関心を持たず
キーマンが誰なのか分かっていないことも多い。

抑えておくべき人に十分な配慮がなければ
悪く目立ってしまうのは当然である。
媚びへつらうということではなく
ある程度の緊張感をもって接し
姿勢を見せるということだ。

そういうことに無関心であれば
グレーゾーンにいても黒になってしまう。
相手の許容範囲をあっさり超えてしまうのだ。

注意を受けない人が日頃から努力していることを
自分だけ注意される人は分かっていないのである。

今は分からないだろうけど『いつか』も来ない。

いま理解できない人に『いつか』なんて来ない。

分かる人はその場で理解する。行動を変える。
分からない人にその日は訪れない。

問題意識が低いために理解できないのだから
言われたことを覚えている訳がない。
だからいつかは来ない。

でも言った側はいつまでも覚えている。
この前言ったこと理解できたかな?
そういう心配は無意味だと気付いた。

応用が効くように何かを教えたり
物事の本質が何なのか考えさせたり
そういう指導を全ての人に
満遍なくする必要はあるのだろうか。

円周率の求め方を知っているより
円周率は3.14と覚えさせたほうが早い。

でもそこには暗記して終わる人と
何故そうなるのだろうと考える人の違いがある。
後者の人間に指導は響くのではないだろうか。
そういう見極めも大切なのではないかと思う。

これまで自分が知った知識を
どういった考え方なのか
どんな意味があるのか教えてきたけれど
大半の人にとって眠たい授業だったかもしれない。

他人の人生を良くしようなんて
結局は自分の思い上がりなんだろう。

影響力のある人間と
変化を押し付け影響させようとする人間
この違いに気づかなければならない。