休日野食家やのけんブログ@福岡

よく食べる子供と珍食嫌いな妻のために試行錯誤してます

めっちゃ美味しくないチーズナン!

チーズナンが食べたい。

そう思い、さっそく作ってみた。



f:id:yanokenta32:20170910160247j:plain:w350


焼き目は香ばしく
かぶりつくとチーズがとろけて伸びる。
モチモチとした食感で食べ応えがあるチーズナン。

だが味は微妙だ。


というか、味がない。



f:id:yanokenta32:20170910160845j:plain:w350

練ってるときは楽しかったのに。


。。


味付けに旨味調味料は控えたい。

だから素材が大切になってくるのだが
今回は小麦粉の厳選を怠ったために失敗した。


どんな料理でも失敗すると落ち込む。
食材にも食べる人にも申し訳ない気持ちだ。



f:id:yanokenta32:20170910161210j:plain:w350

合間に作ったオニギリ。
こちらのほうが人気だった。

大分の夏定番!あの魚をしゃぶしゃぶにして食らう!

大分は鱧(ハモ)が安い!


まほろば菟狭(うさ) 物産館に
大量に並ぶハモを見て驚いた。
http://mahorobausa.net


f:id:yanokenta32:20170909160545j:plain:w350

やっすー!



ここ最近の大分(父の実家)では
夏に必ずハモしゃぶが登場している。

今回も婆ちゃんが用意してくれていた。



f:id:yanokenta32:20170909160429j:plain:w350

好きなように切れということだ。



f:id:yanokenta32:20170909161156j:plain:w350

好きなように切った。



f:id:yanokenta32:20170909161231j:plain:w350

このトコロテンは毎年テングサから作っている。
クセがなく薄味で食べやすい。



f:id:yanokenta32:20170909161355j:plain:w350

魚の縄張り争いが凄い。



f:id:yanokenta32:20170909161447j:plain:w350

ブレた。
うまさに震えてる。



ハモは昆布だしでシンプルが定番スタイル。

骨を炙って出汁を取る方法を試してみたい。
来年やってみましょう。


f:id:yanokenta32:20170909161704j:plain:w350

翌日は澄まし汁で頂いた。
たまりませんね。



f:id:yanokenta32:20170909161758j:plain:w350

家の前は何もない。

相変わらず良いところ。
でも厳しいところ。


また行きます。

「お客様は神様です」なんて大真面目に言ってたらバカと思われるからやめたほうが良いですよ。

久しぶりにバカを見た。


接客クレームを頂かないように
お客様の立場になって考えて…という話の結びが、


『お客様は神様です』


笑っちまったじゃねーか。


。。


客商売において、
お客様は神様という言葉の滑稽さは2つある。

ひとつは神様への接し方は人それぞれに違うこと。
ふたつめはこの言葉の語源を知れば分かる。


。。


ひとつめ。
他人の神様像と自分の神様像は絶対に違う。


僕の神様は尊ぶとか敬うとかいう対象ではなく
そう遠くない身近な存在である。

死んだ爺ちゃんくらいの感覚だ。


だからお客様を神様とイコールにされても
神様を日頃からチヤホヤしていない僕には
ピンとこない。


18歳の時に宮本武蔵の言葉に衝撃を受けて
神頼みを一切しないようになってから、

それまで神様に対してイメージしていた
絶対的な力や願いを叶えてくれる存在という
畏敬の念はなくなってしまった。


『神仏を尊びて、神仏に頼らず』


宮本武蔵はそう言ったけど、
神仏への頼りをやめてしまったら
神仏に対して大きな感情は持てなくなっていた。


自然には大きな力を感じるけどね。
それが八百万の神というなら尊びています。



ところで、尊ぶとか祈るとか頼るとか
神様とは様々な付き合い方があるだろうが、

神様ってさ、そもそも何もしてくれんよね?


もし仮に願いを叶えてくれる存在が神様なら
何かを達成するのは自分自身の力なのだから
神様は自分自身ってことなんじゃないかと思うよ。


つまり、
『客は客、店員は店員、神は自分自身』

僕はこう思うのです。


鏡を神様として祀ることもあるのだから
そこに映る自分自身が神というのもアリでしょう。

こじつけだな。



とにかく、お客様が神様の訳ねーだろ。
何人いるんだよ。


。。


ふたつめ。
元々、この言葉は
三波春夫が演じる際の心構えとして発したものだ。


商売ではなく演者としての心得であり、
神様の前で演じるようにしなければ
完璧な芸は出来ないという意味である。


三波春夫オフィシャルサイトより
http://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html


===以下引用===


『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです』


===引用終了===


このエピソードを知っていたら
間違った使い方であることが分かる。


あまり使われていない言葉を引っ張り出し
何かの指標にしたいならば
背景や意味を調べておくことが大切だ。


そうでなければバカと思われてしまいますよ。